日本全国に映画館を展開し、常に変化する顧客のニーズに応えているTOHOシネマズ株式会社。わが国の「働く」を取り巻く考え方にも大きな変革期が訪れ、それぞれの企業に対応が求められています。
TOHOシネマズが挑戦した健康経営の「改革」は、本部と事業場が連携して産業保健活動を進められる仕組みを作ったこと。たとえ従業員が50名未満の事業場であっても産業医を選任するなど、全事業場で強固な産業保健体制を築き、今まで以上に社員が健康で働きやすい環境整備を行っています。
同社の産業保健体制を強化するべく、最前線で取組みを進めている人事労政部 労政室の土屋大太さんにお話を伺いました。
〈TOHOシネマズ株式会社〉
1997年設立。正社員約580名、アルバイトスタッフは約5,200名。主な事業は映画館の運営。映画館は全国に69館、全651スクリーンを展開。「GOOD MEMORIES」という企業理念のもと、快適な環境で優れた映像作品を鑑賞できるよう、常にサービス向上を目指した活動をしている。
「映画館」に必要な働き方改革
最初にお聞きしますが、やはり従業員の方たちは映画が好きな方が多いのでしょうか?
そうですね。映画好きで人と接する仕事が好き、総じて感受性が強く「熱い」タイプが多いと思います(笑)。
従業員はみんな当社の企業理念に強く共感して入社してくれるようで、理念の実現に向かって真剣に取り組もうという熱意を感じています。
今回の改革は、当社のそういった社風があるからこそ成し遂げられたと思っています。
健康経営の改革を行うきっかけは何だったのでしょうか?
世の中では「働き方改革」の大きな潮流がありますよね。これが健康的に働ける環境作りに着手するひとつのきっかけとなり「当社でも健康経営を実現しよう!」というチャレンジ精神に火がつきました。
当社は映画館を全国展開しています。映画館での勤務は一般的な企業のオフィスとは、就業時間・就業環境などの特性がかなり異なります。
そこで、われわれの「働き方」に合った産業保健が必要だと考えたのです。
映画館での「働き方」について教えていただけますか?
映画館はほぼ年中無休で営業しており、しかもレイトショーやナイトショーといった、上映が深夜に及ぶプログラムがあるため、就業時間は不規則になりがちです。
また、全国各地に事業場があることから、転勤しながら働く社員も多く在籍しています。
こうした働き方に即した産業保健体制が必要であり「法令をクリアしているからOK」というレベルに止まらず、そこにプラスアルファした支援をしていきたいと考えました。
そのためには、心身ともにフォローしてくれる医療の専門家として、頼れる産業医の存在が必要だったのです。
「産業保健の大切さ」を会社に訴え、働きかけた
健康経営の「改革」に着手したときのエピソードをお聞かせください
当社の目指した「改革」とは、本部と事業場の双方が主役になり、連携して活動できる仕組みをつくることでした。
そうすることで、各事業場の支配人が主体的に産業保健の課題に取り組むキーマンとなり、その課題を本部でも共有することができれば、会社全体のリスクが低減され、経営品質の向上に繋がると考えたからです。
しかし、当然ですがこの取組みにはそれなりの時間と投資が必要になります。会社からのOKが無いことにはすすめられません。
一番印象に残っていることは、この「改革」を進めるためにわれわれ人事労政部から経営層に「産業医・産業保健の重要性」を改めて説明したときのことですね。もちろん、当社には産業保健体制はすでにありましたから、その体制を更に強化する意義やメリットについて丁寧に説明する必要がありました。
これは、おそらくどこの企業でも同じことが言えると思うのですが、コストが発生することに対してやはり経営層は敏感ですからね(笑)。
経営層の方たちにはどのようなお話をされたのでしょうか?
まず、取組みの目標が「企業リスクの低減」と「従業員の生産性向上」であることを伝えました。
衛生委員会や産業医による職場巡視・面談の機会を有効活用して、病気やけがのリスクを未然に防ぐことや、事業場の課題を産業医と一緒に見直すことで、従業員がより健康的に働ける体制にしたい、そしてそれが企業としてのリスク対策にもなると訴えました。
そしてもう一つ、われわれが説明の中で強調したのは「選任義務のない事業場(従業員数50名未満)についても産業医を選任したい」ということでした。
映画館の規模によっては従業員が50名に達しない事業場もあります。ただ、職場によって会社が社員に提供する福利厚生に差があってはならないと考えました。
たとえ事業場の規模に大小はあっても、同じ「TOHOシネマズ」であり、目指すところは法令を遵守することに止まりませんからね。
どのような部分に産業保健の課題を感じていたのでしょうか?
先ほどお話ししたように、映画館での勤務は就業時間が不規則で、さらに全国転勤もあるという心身の健康リスクが高くなりやすい環境です。
にもかかわらず、事業場が全国に点在しているために、人事部門が各事業場の就業環境や社員の健康状態をリアルタイムで正確に把握することが難しく、そのことに大きな課題を感じていました。
また、設備上の問題など、事業場が個々に改善することが難しい問題についても意見を吸い上げ、本部の関係部門を巻き込み対処していく必要があると考えていました。
「全社一丸」となって取り組んだ産業保健体制の強化
改革を進めるための「次なる一手」は何でしたか?
経営層から承認を得た後、われわれ人事労政部がしたことは、この取組みについて社員からも理解を得ることでした。
「産業保健を強化することの意味や目的」を、社員全員で共有することが大切だと考えたからです。
経営層に働きかけたときと同じように、そのための資料作成に取り掛かりました。やはり形式的ではない、意義のある取組みにしていくためには、全社員の理解と協力なくしては成し遂げられませんからね。
新たな産業保健体制はどのようにしてスタートしたのでしょうか?
社員にはそれぞれ日々の業務があり、ややもするとそこに新しく「やること」が増えてしまい、負担だと捉えられてしまう可能性もあります。
しかし、根気よく「この活動を進めることは、結果的に社員みんなの健康や働きやすさに繋がる」ということを伝えてきました。
資料には「この活動がもたらすメリットと取り組む意義」や「どの活動にどの程度の時間と手間が掛かるのか」「産業医は何をしてくれる存在か」といった内容をなるべく明確に記載し、不安感を和らげるよう説明しました。
その甲斐もあってか、幸いにも社員たちからの理解を得ることができました。
先ほども申しましたが、当社の社員は情熱的なタイプの社員が多く、目標に共感できれば一丸となって突き進みます。その社風が、ここでも生きたのです。
「こういう目標と意義がある。成し遂げればきっと良いことがあるから、ぜひ協力してもらいたい」というメッセージを伝え、そこへの理解が徐々に深まる中で取組みがスタートしています。
多店舗全国展開という業態で、上手く活動を広げるポイントは何だと思いますか?
端的に言えば「スモール・スタート」と「スモール・サクセス」ではないでしょうか。
産業保健に関する当社の取組みは、ファーストステップとして、数店舗でトライアル的にスタートさせています。その狙いは、どのような効果があるのかを検証することと、スムーズに運用するためのノウハウを獲得することでした。
このトライアルの中で、労働衛生に関する産業医からの様々なアドバイスがより安全な職場づくりに大いに役立つことを実感しましたし、多忙な劇場業務の中で産業医の訪問時間をどう活用するのが最も効率的なのか、ということも徐々にわかってきました。このように経験を積み重ねながら、全国的にこの取組みを広げていきました。
多店舗を展開する当社としては「地方の事業場でもフォローしてもらえること」や「全店舗で均質な産業保健活動をすること」が条件でしたので、全国に支社を持つエムステージの「産業保健サービス」を利用し、産業医を選任しています。
また、全国各地の事業場で衛生委員会を立ち上げる際は、われわれ人事労政部のメンバーが必ず同席しました。やはり、各事業場の支配人と連携して協力しながら産業保健活動を進めて行く姿勢を示すことが大切だと思います。
社員一人ひとりが健康と向き合うきっかけをつくる
産業保健を強化する上で特にこだわった部分はありますか?
産業保健の充実は福利厚生の一環だと考えていますので、どこの事業場でも同じ水準のサポートが受けられるようにしています。当社には転勤の制度があるため、そこには特にこだわりました。
実のところ、転勤したばかりの社員というのはさみしい気持ちになることもあるのです。家族や友人のいない、全く知らない町で働くことは、多少なりとも不安がありますよね。
そうしたとき、産業医が相談役になって話を聞くことが大きな力になっています。ですので、当社では転勤直後に産業医面談の時間を設けるようにしています。
そこには、社員を心身ともにサポートしたいという会社の想いがあります。
産業保健活動を継続させていく上で、大切なことは何だと思いますか?
この活動の価値をさらに高めるため、当社ではいくつかの取組みをしています。
事業場はすべて映画館という共通の形態です。したがって、ある事業場で課題となることが他の事業場にも当てはまるというケースが少なくありません。
そこで、それぞれの事業場から上がってくる課題を本社が吸い上げ、その解決策を全社的にフィードバックするようにしています。これが功を奏し、課題の早期発見・早期解決につながっています。
また、取組みに対するモチベーションを維持できるよう、全国会議や社内報などを活用して人事労政部や各事業場の支配人から産業保健の取組みから得られた成果を共有したり、専門家による健康講話や社員から寄せられた禁煙達成のエピソードなども取り上げ、社員一人ひとりが主体となって「健康」と向き合うきっかけをつくるようにしています。
最後に、これからの目標について聞かせていただけますか?
“社員全員が一丸となって目標にトライする”これが当社の強みであります。
同程度の規模であっても、産業保健体制にここまでこだわっている企業は、まだそう多くは無いように感じています。
目標は、こうした当社のアドバンテージの部分をもっと伸ばしていくことであり、そのための挑戦はまだまだ続きます。
社員の健康増進を図り、活気のある職場を作っていくことは、結果としてお客様へのサービス向上につながり、ひいては、経営基盤の強化、企業価値の向上に繋がるものと考えています。
こうした取組みを社内外の方に広く知っていただくことで「TOHOシネマズで働いて良かった」「ぜひTOHOシネマズで働きたい」という方がより増えていくことを望んでいます。
土屋 大太(つちや・だいた)
2006年10月 TOHOシネマズ(株)入社
・人事室マネージャーとして採用・人事・昇格等の業務に携わる
・労政室長として人事制度改定を行い、人材開発室長として新制度の運用を行った後、再び労政室長として人事制度・諸規程の企画立案を行っている